戦時中、加古川飛行場に配備された「97式戦闘機」の模型(縮尺6分の1)を展示しています。

更新日:2021年07月02日

 昭和12年から終戦までの期間、加古川には飛行場が存在し、昭和13年には、当時の新鋭機であった「97式戦闘機」が配備され、終戦までの7年間、郷土の空を飛び続けました。

 加西市にお住いの三宅常夫氏が縮尺6分の1で製作された「97式戦闘機」を、 本市の平和事業を推進するためとして、令和3年6月、終戦75年を記念して加古川市に寄贈いただきました。

 現在、この「97式戦闘機」を10階の展示・展望ロビーにて一般公開しています。

加古川と、第2次世界大戦と、「97式戦闘機」

 昭和12年(1937年)12月1日、軍や地元住民が多く参列する中、加古郡尾上村に関西地方の防空を担う「加古川飛行場」が完成しました。

加古川飛行場には、福岡県大刀洗飛行場から移駐してきた「飛行第13聯隊(れんたい)」が防空部隊としての任務につき、その主力機として「95式戦闘機」が配備されました。

 

「飛行第13聯隊」は、飛行兵の教育及び戦技を磨く飛行訓練もあわせて行う日本陸軍の重要な防空部隊であり、昭和13年(1938年)8月30日には、新たに「飛行第13戦隊(戦隊長:神谷正男中佐)」として改編され、当時の新鋭機である「97式戦闘機」が配備されました。

その2年半後の昭和16年(1941年)12月8日、日本は第二次世界大戦に突入し、南太平洋方面に進出しましたが、その後は消耗の一途をたどりました。

 

加古川においても新たに「飛行第246戦隊」を編成し、関西防空部隊として伊丹飛行場に移動しました。(この模型は、その際のマークを記入し製作したものです。)

 

再び飛行機の機種を変更しながら南方方面に進出しましたが、戦局はこれまで以上に厳しくなり、昭和20年(1945年)に入ると、第一教育隊の訓練生を交えた特別攻撃隊(第76振武隊、第213振武隊、第214振武隊)が、加古川飛行場において「97式戦闘機」により編成されました。

加古川飛行場を飛び立った特別攻撃隊は、熊本県菊池飛行場を経由した後、鹿児島県知覧飛行場から沖縄海域の米艦船に特攻攻撃を行い、16名の若者が還らぬ人となりました。

「97式戦闘機」の模型に託した平和への願い

昭和13年から終戦までの7年間、「97式戦闘機」は郷土の空を飛び続けました。

終戦時には61機が残り、昭和20年(1945年)8月24日、加古川上空において納めの飛行が行われて以降、再び飛行することはなく、加古川から飛行場も消えることとなりました。

 

当時飛行場があった場所には、住宅や商業施設、工場などが建ち並び、平和な町となりました。

 

ここに、「97式戦闘機」の精密模型を展示することで、加古川に飛行場が有った歴史の一端や今日の平和の礎を築いた人々がこの地に存在したことを知っていただき、平和について考える一つのきっかけにしてもらえればと考えています。

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