教信寺の沙弥教信頭像/県指定文化財

更新日:2025年04月23日

教信寺沙弥教信頭像

名称

沙弥教信頭像(しゃみきょうしんあたまぞう)

数量

1軀

種類

彫刻

材質及び技法

木造彩色、一木割矧造、彩色、玉眼

寸法

像高26.1センチメートル

時代

鎌倉時代/14世紀

所有者及び所在地

教信寺(野口町野口465番地)所蔵

指定年月日

平成13年3月20日県指定(平成8年12月19日市指定)

解説

 この像は、開山堂の本尊で、 沙弥教信の頭部のみの像である。像の中央で左右に割矧ぎ、内刳りがなされています。
 平成8(1995)年の兵庫県南部大地震で建物や仏像に被害があり、その修理で、以前から知られた内部の修理銘に加え、像底つまり頸部の底に「右衛門尉 平知良勧進」の墨書銘が確認されました。平知良については不明ですが、この墨書は造像当時のものと考えられ、この像が、他の像の頭部を転用したものでなく、はじめから頭部のみの像として制作されたものであることが、ほぼ確かになりました。
 平知良は、地頭層などこの地域の中世の富裕な有力者であったかもしれません。また、内部の修理墨書によると、康正2年(1456)に、快盛が願主となって修理された教信上人之御頭であるとされています。 この像は、沙弥教信の信仰と、中世の加古川の勧進活動を知る上で極めて貴重な像です。
 沙弥教信(-866) は、平安時代はじめの念仏聖で、『日本往生極楽記』 勝尾寺住僧勝如伝や『今昔物語集』 播磨国賀古駅沙弥教信往生語などに、勝如 (781-867)にまつわる伝承としてその念仏者の姿が記されていて、古代の文芸にすでに見えています。その後、親鸞(1173-1262)が『改邪鈔』で、教信を念仏者の模範としたり、一遍(1239-1289)がその教信寺を参詣したり、最期を教信の故地印南野で迎えたいと願うなど、念仏者教信は、広く知られるようになっていたようです。14世紀中頃の『峯相記』では、教信は上人としてさらに詳しく記され、江戸時代はじめの寺記の内容に至ったと思われます。
 『峯相記』には、一遍の門弟湛阿が勧進し、自国他国の念仏者を集めて、元亨3(1323)年8月15日結願で七日間の不断念仏を興行したところ、数百人が常行三昧に念仏しました。これが、上下群集する野口の大念仏のはじめだと記しています。
 また、現在の時宗寺院では、13世紀末以降、宗祖一遍やさまざまな上人の肖像彫刻が伝わり、本像もその流れによるものとも考えられます。
 寺記や『峯相記』の内容については、十分な検討が必要ですが、鎌倉時代末期の教信寺で、時宗の聖が不断念仏の勧進興行を行ったという伝承、同時代と考えられる勧進が記された教信頭部像や石造五輪塔(教信廟)の存在など、当時の在地勢力や時宗教団と教信寺との関わりは興味深いといえます。

《像底墨書銘》
右衛門尉
平知良勧進

《体内墨書修理銘》
當寺之
惣門同年
同日造立
如件
奉為結
一仏浄土
縁之敬白
南無阿
弥陀仏
観音
勢至
自他法界
利益周溢
教信上人之
御頭修補
康正弐年
丙子十月十日
願主和尚
快盛大徳

地図情報

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