鶴林寺の木造僧形坐像(伝恵便法師像)/県指定文化財

更新日:2025年04月23日

鶴林寺恵便法師坐像

名称

木造僧形坐像(伝恵便法師像)(もくぞうそうぎょうざぞう(でんえべんほうしぞう))

数量

1軀

種類

彫刻

材質及び技法

一木造、彩色、彫眼

寸法

像高66.5センチメートル

時代

平安時代/10世紀

所有者及び所在地

鶴林寺(加古川町北在家424)所蔵

指定年月日

平成8年3月16日県指定(平成2年10月11日市指定)

解説

 腹前で両手を法界定印に結び、結跏趺坐する重厚な僧形坐像です。内刳りのない一木造で、脚部は体幹部の前に二材を寄せています。頭部は大きく円満で、耳を大きく作り、 眉鼻、唇がかなり鋭く表現されています。両手首より先は後補です。また、各部に彩色痕があり、もとは彩色が施されていたことがわかります。現状は全体に木肌を露呈しています。
 後補の手が加えられていますが、森厳な表情をもった面相で、頭部と体軀はかなり肉厚で、衣文線も鋭く大胆に表現されています。これらのことから、平安時代も中頃の作と考えるべきでしょう。
 本像は、播磨に住んでいた高麗の還俗僧恵便の像として伝えられています。『日本書紀』敏達天皇13(584)年条などによると、恵便は仏法の師を探し求めていた蘇我馬子(-626)に請われて、わが国初めての出家者となる司馬達等の女嶋(善信尼)と、その弟子二人 (禅蔵・恵善)を得させた人物です。
 これにより、馬子は、仏殿を宅の東方に建て弥勒の石像を安置し、さらに、石川
の宅に仏殿をつくったとされています。これが、わが国初の寺と考えられ、仏法の初めともされています。
 播磨には恵便に関する寺伝をもつ寺院がいくつかあります。東播磨の太子信仰の中心寺院である鶴林寺と恵便との関係は、崇仏派の蘇我馬子と聖徳太子(574-622)
が、廃仏派の物部守屋(-587)と戦ったという聖徳太子の事績から、寺伝に取り入れられるようになったのしょう。

地図情報

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