地蔵石仏(こけ地蔵)/市登録文化財

更新日:2025年04月04日

地蔵石仏(こけ地蔵)

名称

地蔵石仏(こけ地蔵)(じぞうせきぶつ(こけじぞう))

数量

1基

種類

考古資料

材質及び技法

石造、竜山石(たつやまいし、流紋岩質溶結凝灰岩)製

寸法

現高(石棺蓋底面地上露出高)136cm 、幅(石棺蓋の幅)106cm、厚さ(石棺蓋の
厚さ)30cm、像高(仏像の頭頂-足下)62cm、髪際高(仏像の髪際-足下)55cm

時代

石棺は古墳時代後期(6・7世紀)、仏像は南北朝時代(14世紀)頃

登録年月日

令和7(2025)年3月6日

所有者及び所在地

所有者 天下原町内会

所在地 東神吉町天下原556番地

解説

 古墳時代の大きな家形石棺の蓋の内側に、南北朝時代頃に地蔵菩薩立像を半肉彫りした石仏です。作者は不明です。
 石棺は古墳時代後期の家形石棺の蓋の部分で、材質はこの地域で産出される竜山石(流紋岩質凝灰岩)製で、表面は丁寧に仕上げられています。長辺は一部が地中にあるため詳しくわからないが136cm以上あり、短辺が106cm、厚さが30cm、上部には平坦面があり、内側に浅い刳り込みがある大型の石棺の蓋です。
 仏像は、石棺蓋の内側を上部が丸い舟形に大きく彫りくぼめ、右手に鍚杖を左手に宝珠を捧持した地蔵菩薩立像を半肉彫りで彫り出しています。また、頭光はわずかに浮き出して表現されています。像容からこの地域に多い南北朝時代のものと考えられます。
 この石仏については、平安時代の陰陽師である蘆屋道満が、現在の西神吉町岸の正岸寺に生まれ、都から戻ってきて亡くなった後、その魂(或いは式神)が井戸に閉じ込められたが、一つ火(火の玉)となって京の都に向かう途中、この石仏にぶつかって慰められ、消えていくという「どうまんの一つ火」の伝説が伝わっています。
 さらに、「こけ地蔵」の名称については、「苔の地蔵」が「転(こ)け地蔵」に転訛したという説のほか、道満の一つ火が毎夜この地蔵にぶつかりしだいに傾き、何度起しても前に倒れるので、俗に「転(こ)け地蔵」と呼ばれるようになったという説があります。
 古墳の石棺の部材を転用して仏像や種子を彫り出したものは石棺仏と呼ばれ、全国的には珍しいもので、加古川市、加西市及びその周辺の地域に集中しています。
 この地蔵石仏は、石棺仏が集中するこの地域の中でも典型的なものであり、学術的に価値があり、また、古くからの言い伝えである陰陽師蘆屋道満の一つ火の場面であることから、文化史的意義があるものです。

この記事に関するお問い合わせ先

担当課:文化財調査研究センター
郵便番号:675-0101
住所:加古川市平岡町新在家1224-7(中央図書館2階)
電話番号:079-423-4088
ファックス番号:079-423-8975
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