鶴林寺の聖徳太子絵伝(三幅画)/市指定文化財

鶴林寺聖徳太子絵伝三幅画第三幅

鶴林寺聖徳太子絵伝三幅画第二幅

鶴林寺聖徳太子絵伝三幅画第一幅
名称
聖徳太子絵伝(しょうとくたいしえでん)
数量
3幅
種類
絵画
材質及び技法
絹本著色、軸装
寸法
縦 各 196.0センチ、横 各 128.0センチ
時代
室町時代 15-16世紀頃
所有者及び所在地
鶴林寺(加古川町北在家424番地)所蔵
指定年月日
平成4(1992)年10月6日
解説
目の細かな三条の絹を用い、周囲は描き表装で、その内に縦170.2センチ、横120.7センチの画面を濃彩で描いています。各幅はすやり霞によって五段程度に区切られ、短冊形に事績が記され内容がよくわかります。概ね第一幅には誕生から19歳まで、第二幅には17歳から39歳まで、第三幅には28歳から50歳で没するまでの太子の歳と事績を描いています。彩色豊かで、細部まで描き込まれていて、人物の表情もそれぞれ描かれ、風景の描写も詳細です。室町時代の典型的な掛幅形式の絵伝であり、15世紀終わりから16世紀はじめ頃の制作と考えられます。
わが国の仏教の祖としての聖徳太子に対する信仰は、鎌倉仏教の多くの宗派で重視され、急速に広まっいきました。太子信仰の普及とともに造像活動も盛んになり、中でも、聖徳太子の生涯を描いた多くの聖徳太子絵伝が制作されています。これらの多くは、仏教に帰依した太子の生涯を説明する、絵解きに用いられていて、本図も鶴林寺の絵解きに用いられていたものと考えられます。
鶴林寺には、本図の他に八幅画の聖徳太子絵伝 (重要文化財)もあります。八幅画本は14世紀前期のもので、善光寺如来の縁起が含まれていることや、太子没後の大化改新までの事績までが描かれていることなどの特徴があります。
以下、本図の短冊形によって、その事績を記すと、第一幅には、「天竺勝鬘夫人」、「妹子渡衡山」、「(不明) 衡山」、「於厩下有產」、「命有同 (不明) 陽坐」、「渡百済渡弥勒像」、「一歳天皇愛之」、「二歳唱南無仏」、「三歳愛松葉」、「四歳欲受苦」、「五歳拝賀皇后」、「六歳始渡仏法」、「七歳始(不明)」、「八歳渡尺迦像」、「九歳八嶋唱謌」、「十歳召東夷」、「十一童子勝屓」、「十二日羅来礼拝」、「十三始勧出家」、「十四焼豊楽寺」、「十五相父皇」、「十五歳敏達天皇崩御」(貼紙)、「十六(不明)」、「十九元服大宴」とあり、第二幅には、「新羅六城之内」、「太子皇子達指雲」、「元興寺降霊重」、「従百済渡舎利」、「命駕□(「辶」に「於」)諾良也」「十七従唐献書」、「十八遣使於諸國」、「廿遣兵新羅」、「廿一大臣射鈎」、「廿二立天王寺」、「廿三造諸寺」、「廿四光浮本来」、「廿五 (不明) 遮會」、「廿六阿佐礼拝」、「廿七甲斐駒来」、「廿九奏伐新羅」、「卅三幸太秦」、「卅四始造丈六仏」、「卅五講勝鬘経」、「卅六始築池堤」、「卅九駒悔吝」とあります。そして第三幅には、「沙弥 (不明)」、「遣使於恵慈許」、「葬科長御廟」、「廿八貢禽獣」、「卅重欲貢新羅」、「卅一観勒貢暦」、「卅二講安宅経」、「卅七妹子進経」、「卅八唐僧重来」、「四十幸(不明) 田野」、「四十一傳舞楽」、「四十二(不明) 人」、「四十三嫡妾緒怨」、「四十四恵慈帰」、「四十五金像来」、「四十六講勝鬘経」、「四十七太子烏妃語」、「四十八人魚出」、「四十九賞歯會」、「五十御遷化」としています。
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更新日:2025年03月31日