教信寺の地蔵菩薩立像/市指定文化財

更新日:2024年05月02日

教信寺地蔵菩薩立像

名称

地蔵菩薩立像(じぞうぼさつりゅうぞう)

数量

1軀

種類

彫刻

材質及び技法

木造、古色、一木造、彫眼

法量

像高 93.5cm

作者

不明(寺伝の中には小野篁の作とある。)

時代

鎌倉時代/13世紀

所有者

教信寺

所在地

野口町野口465番地

指定年月日

平成19年3月1日市指定

解説

 この像は、小野篁(802-852)の手刻という伝承をもつ仏像で、教信寺本堂の厨子内に安置されています。
 左手は屈臂して宝珠を捧げ、右手も臂を曲げて錫杖を握るいわゆる声聞形の地蔵菩薩立像です。内刳りの無い一木造で、台座、宝珠、錫杖、瓔珞等は後補です。さらに、傷みの激しい部分を中心に、全身の表面を木屎で修理しています。 両手首から先と両足は別材で、足柄は新しいものが補われています。
 面部は、修補により鼻線から口にかけてかなり手が入っているようです。 その他、全身に浅い鉈彫のような整痕が見えます。
 これらの修理は、一見して像容を大きくは損なっておらず、いわゆる藤末鎌初(藤原時代から鎌倉時代初期)の地蔵菩薩の姿をよく留めています。腹部は前に出て、背面は抉れている体軀の表現から、鎌倉時代に入ってからの造像と考えられます。
 教信寺は、平安時代の念仏聖である沙弥教信(866年没)の庵の跡に建てられた寺院です。『播磨鑑』に載る元和7(1621)年の寺記によると、教信の没後、清和天皇により庵跡に観念寺が建立され、その後、大治元(1126)年に念仏山教信寺と改め、翌年に大原の良思上人が勧進し、同3(1128)年に十七日中の念仏会を結んでいます。建長7(1255)年に、本堂、開山堂、三重塔などが並ぶ伽藍を建立したことになっています。 そして、浄土諸寺とともに毎年8月9日から15日まで法要を行ったのが野口念仏のはじまりといわれています。その後、境内に野口城が築かれ、天正6(1578)年の羽柴秀吉の播磨攻めにより、諸堂悉く焼け灰燼となりましたが、不動坊海長と経蔵坊春盛によって、本尊阿弥陀仏、地蔵菩薩、開祖の首面、土佐の画二軸が持ち出され、同8(1580)年、 再び草堂一宇を造立し、これらを奉安したといいます。弥陀は行基(668-749)の作、地蔵は小野篁(802-852)の手刻、首面は他人の彫刻、二軸の絵は明応年中(1492-1501) 土佐将監光信の図画と伝えています。
 この寺記に見える小野篁の手刻とされる地蔵菩薩が、本像であると考えられています。また、秘仏の本尊阿弥陀如来立像は平安時代後期、開山堂本尊教信頭部は鎌倉時代末期の制作と考えられています。教信上人一生絵二幅は火災のため消失しており、現存するものは江戸時代中期のものです。
 端正な像容をもつこの像は、教信寺の歴史を考えるうえでも、貴重な仏像といえます。

地図

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