稚児窟石棺蓋/市指定文化財
名称
稚児窟石棺蓋(ちごがいわやせっかんふた)
数量
1基
種類
考古資料
材質及び技法
石造、流紋岩質凝灰岩(竜山石)製
時代
古墳時代後期-飛鳥時代、6世紀末-7世紀初
管理者及び所在地
池尻町内会 平荘町池尻698番地の9
寸法
長辺242cm、短辺158cm、高さ60cm、上部平坦面幅72cm(長辺及び短辺は縄掛突起部を含む最大値、縄掛突起部を含まない長辺は233cm、短辺は146cm)
指定年月日
令和5年3月9日市指定
解説
この石造品は、縄掛突起をもつ家形石棺の蓋の部分です。
材質はこの地域で産出される流紋岩質溶結凝灰岩(竜山石)製で、突起部を含む最大長が242cmの市内最大の石棺の蓋です。
表面は、丁寧に仕上げられておりノミ痕はほとんど認められません。上部には平坦面があり、内側には浅い刳り込みがあります。突起部は、短辺に各1個、長辺に各2個の計6個あり、断面はいずれも長方形で、わずかに斜め下向きに突出しています。
製作年代については、古墳と石棺の特徴から6世紀末から7世紀初め頃(古墳時代後期から飛鳥時代初め)と考えられます。
この石棺蓋は、稚児窟(ちごがいわや)と呼ばれていた池尻16号墳のものです。昭和41(1966)年に完成した工業用水ダム湖である平荘湖に古墳が水没するまでは、墳頂部にあった弁天祠(べんてんほこら)の横に置かれていました。平荘ダムの完成に伴って、弁財天(べんざいてん)をまつる市杵島(いちきしま)神社とともに南側の湖畔に移され、露天で保存公開されています。
池尻16号墳は、墳丘の大きさが一辺約40mあり、兵庫県下最大の横穴式石室を持つ方墳です。石室は、全長13.8m、玄室の長さ6.4m、幅約3m、高さ約3.5mメートルで、県下最大級のものです。この古墳は、形や大きさなど、当時のヤマト政権の王族や有力豪族の古墳の影響が見られることから、古墳時代後期から飛鳥時代初め頃の加古川下流地域の有力者像、そして、ヤマト政権との密接な結びつきを考えるうえで重要な古墳です。
なお、この石棺の身(み)の部分は、江戸時代に姫路藩主榊原式部大夫が泉水(せんすい/庭に置く水に関係する石)に使うために運び出したのですがあまりに重いので途中で中止した、という記録があり、その後、昭和11(1936)年頃になって道路拡幅工事で発見され、現在、志方町投松(ねじまつ)の公民館前に保存されています。
大型で丁寧に仕上げられたこの石棺の蓋は、古墳時代後期から飛鳥時代の播磨地域を代表する方墳である池尻16号墳(稚児窟)に安置されていたもので、播磨の古代史を考えるうえで、また、当時の高度な石工技術を知るうえで、学術的に価値が高いものです。
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更新日:2023年03月20日