広報かこがわ2月号
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加古川平岡町野口町加古川町別府町金沢町米田町尾上町神野町八幡町上荘町平荘町志方町東神吉町西神吉町賀古駅家跡は、国内最大の駅家と呼ばれる拠点の跡。付近の駅ヶ池には、教信上人が吐き出した魚肉が元の魚に戻ったという言い伝えが残る。NEWS「わがまち加古川70選」市内で自慢できる美しい自然やスポットなど、うるおいとやすらぎが感じられるよりすぐりの70選。市政70周年を記念し、新たに選ばれた10カ所を紹介します。問い合わせ/観光振興課☎424・2190※市役所やまち案内所で 配布しています。60選に新たに10カ所が仲間入り!くわしくはパンフレットでチェック羽柴秀吉が志方城を攻めた際に本陣を置き、采配をとるときに座ったと伝えられている。慶長5(1600)年、姫路城主の池田輝政によって進められ、60年後の松平直矩の時代に完成したと伝えられる井堰。崩れた地盤に生じた潰れ目や潰れ地など、池の成り立ちにその名前が由来した池と、そのほとりに鎮座する神社。奈良時代、聖武天皇の勅命で行基が開基した真言宗の寺院。室町時代に作られたと伝わる阿弥陀如来像を本尊とする。「学問の神様」として著名な菅原道真が大宰府に左遷途中、この地に立ち寄ったため、村人たちが徳を授かろうと建てたといわれる。升田山は標高105m。登山道の一部である東の尾根は「八十の岩橋」と呼ばれ、「播磨風土記」では天に届いたこの石橋で多くの神が往来したと記される。陰陽師・安倍晴明に教えを受け、彼に並ぶと称せられた蘆屋道満が誕生した場所に建つ神社。明治29(1896)年創業の日本毛織㈱で現存する工場のうち、大正時代に建てられた最も歴史のある工場。太閤岩観音寺・志方城跡上部井用水升田山・八十の岩橋駅ヶ池・賀古駅家跡山之上住吉神社・潰目池宝蔵寺粟津天満神社日本毛織印南工場煉瓦建物群正岸寺志方城は戦国時代の軍師、黒田官兵衛の妻・光の実家。現在、本丸跡には曹洞宗の寺院、観音寺が建つ。てる令和4年2月号7

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