広報かこがわ9月号
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 妻の英美が認知症と診断されたのは平成12年、58歳の時でした。買い物に行き、自転車を置いた場所が分からなくなったのが異変の始まりでした。「通帳がない」と騒ぎだし、口論になった末に通報されたこともありました。警官が駆け付けると、当の本人は通報したことなどさっぱり忘れていました。 当時は認知症という言葉すら聞いたことがなく、妻から身に覚えのないことで責められ、つい感情的になって激怒したこともあれば、激高した妻に追い掛けられ、天井裏に逃げ込んだこともありました。本当に妻の心境が分からず困惑する日々でした。 私は認知症関連の本を読みあさり、妻との関わり方について試行錯誤しました。妻が認知症になってから、私たちは寝室を別にしました。距離を取ることが、自分の身を守る何よりのすべだと思ったからです。しかし、そばにいる方がいいのではと思い至り、ある時期から布団を並べるようにしました。それ以降、妻は安心したのか、症状が落ち着きました。手をつないだり肩に触れたりとスキンシップが必要で、感情的にならず、妻の調子に合わせて対応することも大切だと気付きました。 介護のこつは「とにかく家から出る」こと。人と接する場所がないと気がめいってしまいます。誰かと関係を持つことが大事です。私自身、最初は本から認知症の知識を得るしかなく、孤独感を抱えていました。今では「介護者のつどい」などで、同じ境遇の人たちとつながり、思いを分かち合っています。悩みや不安があるのなら一人で抱え込まず、話せる場所に出掛けてみてください。 認知症の介護に悩んでいる人に伝えたいのは「すっぴんになれ」ということです。しっかりしないといけない、怒ってはいけないと思わず、ありのままの自分でいてください。一人でそう思うことが難しければ、外に出て誰かと会話をしましょう。きっと前を向けるようになるはずです。 義母は65歳の時、婦人科系疾患の手術の後遺症で排せつが難しくなってから、他の病気と共に認知症が進行していきました。当時、私は仕事をしており、介護との両立は困難でした。親族に責められ、誰にも相談することができず、ストレスと疲れはたまっていく一方でした。 ある日、思い切って近所の人に姑のことを相談してみました。そこから認知症の人と介護者の集まりにも参加するようになりました。気持ちを吐き出すことで心が楽になり、明日からも介護を頑張ろうと思えたのです。今考えれば、仕事を辞めなくてよかったです。辞めて、姑と1対1で向き合っていたら、私自身がつぶれていたと思います。 介護は一人ではできません。家族や地域の助けがあったから最後までできたと思います。もし介護で悩んでいたら、誰かに話す勇気を持って一歩踏み出してみてください。介護に悩むあなたへ1介護に悩むあなたへ2妻を介護して20年目市川 八十二さん素のままの自分でいること姑の介護を12年経験畑 菊江さん勇気を持って一歩を踏み出して困惑の毎日そばにいることまずはつながること難しい両立誰かに話す勇気すっぴんになることや そ じ令和元年9月号3

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